2009年1月31日土曜日

ニューヨークで行き忘れたところ

昨年旅行したニューヨークで行き忘れたところ一覧
ミートパッキングディストリクト
フェデラルホール
ブルックリンブリッジ(橋を渡ってない)

クラスを一つ落として

また英会話教室に通います。
応用情報処理の試験勉強もあるし、ほかにもとらなければならない試験もあるし。
授業について行くための勉強もあって、やむなしの選択です。

2009年1月1日木曜日

「パブリックに関するダメな議論、もしくは感謝」を読んで

これなのですが

書いている事の意味がさっぱりわからない。なにに腹をたてているか理解できない。
私自身はごく一般的なエンジニアのつもりだが、その私にも理解できるようにも書かれていない。私と同レベルの愚かな大衆に向き合っていない。

いろいろ書いてはいるが、極論すれば、「OSSに関わらない人間がパブリックを語るなかれ」「梅田よ、なぜパブリックに貢献する俺にスポットを当てない」と言いたかったのだろうか。

OSSで黙々と実績を出している人の名を挙げていない事について書いているが、これは効率性という点で梅田を責められない。
それは、こなした実績と、大衆に伝わる(伝わりやすい)発言とが対になった人がいたら、その人の例を挙げたほうが、遙かに効率的にメッセージを伝えられる、という理由から。
パブリックに貢献した人について文章を書こうとした時、その登場人物は誰だと考える。
実績だけが存在し、その実績について、一般的には分かり易い発言や発言そのものを残していない人物について書こうとすると、自分で掘り下げて調べるしかない。
一語一区細かく正確に調べ上げて記述しないと、ネットで批判される事は目に見えているし、調べだけをやたらと綿密にしても生産性が低いので、バランスの良いところを選択せざるを得ない。でないと、本当に伝えたい事がどっかに飛んで行ってしまう。これは凡庸な大衆と向き合い、エンジニアリングに疎い人種と向き合い、かつ、ネットというものが存在する以上、無視できない制約条件だと思う。

そして、OSSを語る上で、万人に理解できる言葉で発言できない、しようとしない人たちについては、とりあえず無視する事を考えるか、大人として仲介役をかって出る事を考える。まぁ、少なくとも貢献はしているので、完全に無視は出来ず、前者は選択できない。
悲しいかな、エンジニアリングで比較的ベテランの、私のような層の多くの人間が、その大人な仲介役の世話になっていて、その上にあぐらをかいている部分もありはしないか。
パブリックな概念とは、私を含めた凡庸な大衆に向き合って発言できるかどうかを規定するもの。
手を動かしてコツコツやるのは、後にくるパブリックな発言に向けたあくまで私的な活動として、納得するしかないのではなかろうか。

さて、dankogai氏、援護射撃とかいって幾分ヒロイズムを感じているようだが、実際には子供のおもりに近い。普通OSSに参加している人は、貢献してるから認めてほしい、などとは考えず、コードを書くのがただ楽しいから参加しているだけ。楽しい事をやっているのに、ねぎらいがほしいというのは、幼稚な考え方と言うしかない。
それに、ビルゲイツについて書いた事を揶揄しているが、新潮2009の読者層を考えればしょうがないだろうに。